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評価するための手段

応援のクリックを!とかが貼ってあるブログとか、ウェブ拍手とか、
俺、そういうのがなんとなく気に入らない人間なんです。


だけどちょっと考えたら、なんで気に入らないか、なんとなくわかった。
評価するための手段を自分から提示してるからだ。


なんつーか自分は評価されて当然、みたいな思考が根本にあるような気がして。
いいっつーの!こっちがホントに評価しようと思ったら、どうにかして気持ちを伝えるッつーの!!
わざわざ用意しなくていいですから!!


とはいえ、評価するための手段、それを提示するのは別に悪いわけじゃないと思います。
イチローが、戦闘機のパイロットとしての能力についてボロクソに言われたら、
当人は「無茶苦茶だ!!俺は野球選手なんだから野球のことで評価してくれ!!!」って叫ぶでしょうし、
俺が彼女いない歴○年だってことで就職できなかったとしたら、
俺は「無茶苦茶だ!!俺は男が好きなんであって、非モテな訳じゃないやい!!!」って薔薇族に投書します。
まあ、イチローF-22ぐらい地上から撃墜しそうだし、俺は女の子の方が好きだけど。マジですよ!踏まれたいぐらい好きです!!


でも、私はすばらしい野球選手です、って言い続けたり、ブログの一記事ごとに応援のクリックをとか貼ってあったり、Mっぽさを暴露したりすると、ちょっと気持ち悪いですけどね。
…蔑まれるのは、好きじゃないです。






こないだ、友人たちとコンテンツ話・著作権話で盛り上がったんですよ。
そこで友人の一人が、「好きな作品があったら、それにお金を払うべきだ。投資すべきだ」みたいな事を言ったのです。
それはそれで筋が通ってる、理解できる話ではあるのですが…、なんとなく違和感を感じました。


よく考えると、その違和感も「評価するための手段」絡みなんですよね。


つまり、投資すべきと言う彼や、CDとかグッズとかを大量買いするへんてこりんな人間にとって、制作者ってのは、
「ワテクシの作ったものが気に入ったならば、早急に今すぐに!スイス銀行の口座にマネーを振り込みなさい!!」
っていつも考えてるのが正しい制作者像なんです。
彼らにとって制作者は、お金を評価するための第一手段として見なしているのです。


ネットを見てると、JASRACを金の亡者だなんだって言う批判をよく見ますが、
お金を、評価するための第一手段として見なす人間も、気づかないうちに資本主義の豚なんじゃないですかね。


勘違いしてほしくないのは、コンテンツビジネス、というものを否定したいわけじゃないんです。
お金がなきゃ何も出来ないことは分かってます。
でも、みんなだってお金があるとはいえない。パトロンになることなんて無理なんですよ。お金を評価するための手段にするなんて、できっこないのです。